株式会社ケイアイは創業80周年を迎えました
車いすと共に歩んだ80年間の軌跡

ケイアイのあゆみ

1936年(昭和11年)に医療機器メーカーとして創立された
北島商会が当社のルーツ。
当社は長い歴史の中で培った技術を大切に受け継ぎつつ、
新しい知識やノウハウも積極的に吸収。
お客様や社会のニーズに設計力と技術で応える、
柔軟な事業スタイルを確立しています。
株式会社ケイアイ
ケイアイのルーツ北島商会が
軍人療養所に納入した車いすが、
後に『箱根式車いす』と呼ばれる
日本で最初の車いすだと
言われています。
車椅子 居宅介護支援事業所けいあい 日本の
車いすの歴史が
当社の歴史でも
あります
工場 「人としてどうなの?」
ということを
とても大切にしています
かかわりあうすべての人たちを明るく楽しくしよう! 表彰状
利用者の心に
寄り添う
オーダーメイド車いす
社員
「ケイアイの車いすなら外に出てもいい」
ご利用される方の心のケアにも
貢献できる車いすを作れたら…。
それがオーダーメイド車いすの設計に
対する思いです。
車椅子 希望の轍
未来へと進んでいく
車いすの軌跡
設計図 風景
80年を迎えて次世代につなげる

社長のごあいさつ

代表取締役 北島伸高
お客様にとっての“価値”を
真面目に追求していきます。
代表取締役 北島 伸高

私が代表に就任した2003年。ケイアイは新たな事業テーマを打ち出しました。
それは“お客様にとっての価値”を、真摯に追求すること。
商品のクオリティだけでなく、サポートの質の高さや、より良い製品を作るための知識、親身な対応などの多様な満足を備えた、本当に価値がある
と思っていただけるサービスを提供することです。

今の社会では、偽装や隠蔽など企業の不祥事が相次ぎ、この大切なことが置き去られているように思えます。
だからこそ、私たちはお客様にとっての価値を大切にしたいのです。
恥ずかしながら、当社も私が代表になる2003年以前は、お客様にとっての価値を第一に考えているとは言えませんでした。
当時すでに設立67年。優れた製品もいくつか扱っていたものの、お客様に選んでいただける価値があるかは疑問に感じる部分もあったのです。

そこで代表就任後にまず取り組んだのが、変革です。知識を学び、的確な提案ができるようにする。
ユーザー側の視点を養う。製造・販売以外にもニーズのある事業を開拓する。
30歳代が中心の若いスタッフも、よく順応してくれたと感謝しています。
今、お客様を第一に考えるスタイルで事業に取り組めるのは、当時の変革があったからこそです。

私はよく「ウチは真面目です」と言っています。
実際、真面目にやっていると自負していますし、そうして自分に言い聞かせてもいるのです。この実直なスタイルはきっと何かに実を結ぶと、私は
信じています。
そして、さらに幅広いフィールドへと事業の手を広げても、キレイごとを大切にするケイアイの方針は変わることはありません。
未来に向かって走り続ける、ケイアイ社員一同の想いです。

乙武洋匡氏からの
メッセージ

乙武氏
創立80周年、おめでとうございます
乙武洋匡

ケイアイ創立80周年、誠におめでとうございます。

私の足代わりであり、パートナーでもある電動車椅子。
そのメンテナンスをご担当くださっているケイアイさんの存在なくして、私の生活は成り立ちません。

創立100周年に向けて、今後ますますのご発展を祈念しております。

80周年を
迎えるにあたって

ロゴ
弊社は、おかげさまで
2016年(平成28年)をもちまして
創立80周年を迎えるに至りました。

これもひとえに、ステークホルダーの皆様の長きにわたるご支援、ご愛顧の賜物と心から感謝しております。厚く御礼申し上げます。
今から80年前に第二次世界大戦で負傷された戦傷者の方々に、車椅子を制作したのが弊社の始まりです。
当時の車椅子はたくさんの戦傷者が運ばれた箱根療養所に納品されたことから箱根式車いすと呼ばれ、これが日本で製造された最古の車椅子と
言われております。
従いまして弊社の始まりは日本の車椅子の始まりでもあります。
以降、これまで弊社はオーダーメイド車椅子を中心に、地域の皆様と共に歩んでまいりましたが、それまで全てが順風満帆というわけではなく、
私が代表に就任した平成15年以降だけでも、本当に様々なことがありました。
そんな中、この日を迎えられたのもステークホルダーの皆様のご支援や苦節を一緒に乗り越えてきた社員の皆さん、また、社員を陰ながらサポート
してくれたご家族の皆さんのお蔭であり、本当に感謝の気持ちで一杯です。

また、創業以降各年代で支えてくれていたであろう、お客様や先輩社員様にも感謝しなければなりません。ありがとうございます。
80年というと私の年齢のちょうど倍の数字でございます。
あらためてその数字の大きさを実感すると同時に、責任の重さも痛感しております。
現在介護、福祉を取り巻く環境は一段と厳しさを増しております。
社会保障費の削減が叫ばれる中、車椅子のモジュール化の推進、最近ではロボットといった新しい技術も身近になる時代になりました。
こうした時代の変化やスピードにもしっかり対応し、今まで以上に地域の皆様に必要とされる会社となって100年企業を目指していく所存です。
今後も皆さま方のより一層のご支援ご鞭撻を賜りますようお願い申し上げます。

日本の車椅子
の歴史

世界の車椅子、日本の車椅子
どうやって車椅子は誕生したのか

世界の車椅子の始まり

日本の車椅子のお話をする前に、世界ではどうなのか。
ドイツやスペインなどでは1500年~1600年の時代に、車椅子に似た椅子を使用している
絵などが確認されていることから、この時代から車椅子のようなものが使われていたと
思われます。
当時ヨーロッパでは椅子は権威の象徴としての意味合いもあったようで、必需品というより
もどちらかと言えば贅沢品として扱われていたのではないかという説もあります。

車椅子

廻転自在車

これが国内となると、車椅子に関する国内の歴史についての文献や資料がほとんど
ないため、今日まで様々な憶測が出ているのですが、その中でも国産第一号では
ないかと言われているのが『廻転自在車』と言われているものです。
しかし、この廻転自在車は誰がどこで作ったのかなどは明らかにされておりません。

車椅子

国内最古の車椅子「箱根式車いす」

そんな中、当社の前身である北島藤次郎商店は、1936年(昭和11年)に北島商会という名で創業し、車椅子の製造を始めました。
製造のきっかけとなったのが三井財閥のご子息が病気になり、入院先だった聖路加病院に英国から車椅子を輸入しましたが、大きくて体に
合わなかったため、これを改造したことがきっかけと言われております。
その後、日本は多くの戦傷者が国立箱根療養所(現国立病院機構箱根病院)に運ばれました。
国立箱根療養所は傷痍軍人箱根療養所という名で、支那事変による戦傷脊損患者を収容していたため、多くの人が車椅子を必要としていましたが、
当時の日本は物資不足で車椅子や義肢は一般には渡りませんでした。
そんな状況を憂慮した箱根療養所庶務課長だった遠藤保喜さんという方が、戦後の混乱の中、疎開先の八王子で北島藤次郎を探し出して車椅子の
製造を依頼しました。

依頼を受けた北島藤次郎は、先述の英国産の車椅子を改造したものを元に、何とか
車椅子を完成させ、箱根療養所に納入をしました。
この車椅子はフレームが鉄、座席部分は北海道産の塩路という木材で作られ、座面や
背面は籐で編んだものを使用しています。
この車椅子が後に『箱根式車いす』と呼ばれ、製造者が明確な日本最古の車椅子と
言われるようになりました。
その後、籐の部分がフェルトに改良されたものが納入されるようになり、この車椅子は
現存あるもっとも古い車椅子と言われております。
これが日本の車椅子の始まりとなります。

車椅子

車椅子の進化、そして現在へ

その後、1949年(昭和24年)に「身体障害者福祉法」が制定され、 車椅子が補装具として給付されるようになりました。写真は当時行われていた展示会のものです。この写真は、北島藤次郎商店が設立された1955年(昭和30年)10月に、長野県松本市で開催された展示会の一枚です。

車椅子

前方大車輪型やハンドル型など、現在はあまり見かけない形の車椅子が主流だったことが分かります。
一番左の車椅子は「北島式折畳手動運動車」と書いてあり、既にこの頃から折りたたみの車椅子が販売されていたのが分かります。
また、写真をよく見るとエアクッションのようなものが置いてあります。

その後、日本の車椅子は1964年(昭和39年)に開催された東京オリンピック、パラリンピックの開催を契機に急速に各種の研究、改良が行われ、
大きく進化を遂げてきました。
今ではさまざまな種類や材質の異なるもの等が作られ、生活用具やスポーツ用具としても不可欠なものとなっております。